ホイスト小論

と、エドモンド・ホイルの名著のタイトルで気取ってみる。

連休は、わたし的には結果的にトランプやゲームで遊んでばかりいたことになった。その最初のイベント、ブリッジ体験教室での我々一家の報告をする。

ブリッジの体験教室をするというので、いつも顔を出している地元のブリッジクラブに一家3人で出かけた。通常は、おとうさんとおかあさんがペアを組むときはあったが、誰かが娘の面倒を見ないといけないので、どうしても中途半端な参加にならざるを得なかった。それが今回は体験教室なので、ホイストくらいなら遊ばせてもらっても迷惑をかけないだろうと、娘も一緒に参加させることにしたのだ。

隣のテーブルには、父親と小学生2人が中心になった1家族が、先生にホイストのルールを教えてもらっていた。うちの家族のテーブルは、おかあさんがブリッジ初心者で、もうひとかた、ブリッジ初心者が参加して4名でホイストを始めることにした。娘はひととおりルールを覚えているので、説明は不必要で、いきなりのホイスト開始であった。

通常のホイストを40分くらいプレイできた。40分というのは娘がジュースを飲みたいと騒ぎだしたので仕方なく休憩を入れた時間である。

ホイストはブリッジと違いビッドがないので、トランプ(切札)の決め方や強いカードの配分は、カードの運に任せるしか無い。トランプを決めたディーラー側ですら、トランプであるクラブは2枚ずつしか持っていないこともあった。そのような中で、皆でワイワイ楽しめたのは、やはり「ラフ、オーバーラフ」だった。ほぼ毎ディール、「ラフ、オーバーラフ」の状況が生まれたのは、おそらく次のような状況だったからではないかと推察する。

まず、トランプ決定の経緯は、味方のペアで有利なトランプとして決められたわけではなく配られた最後のカードに従っただけである。また、サイドスートの強さ、長さも、自分たちペアが強い・長いとわかっているわけではないことから、もし長い4枚以上のトランプを持っていたとしても、ドロートランプ(トランプ狩り)を行なうことで味方が有利になる根拠がほとんどない。これは個々のプレイヤーのカード・リーディングの能力によるところも大きいと思うが、それは体験教室レベルということで、能力による戦法の善し悪しを議論するのはおいておこう。

ドロートランプをしないでゲームが進むと、自然に皆のトランプが余ってくるので、ラフの状況が頻繁に出てくることになる。そして、最終的には次のような状況も出てくる。場に残った唯一のハートがリードされて、残り3人が皆、トランプで「オーバーラフ」するのだ。とてもエキサイティングだ。

ブリッジはプレイの前のビッドで、おおよそのカード配分の情報を知ることができるため、ディクレアラ側はよりプレイの方針を明確に立て、ドロートランプをしてくることが多いので、今回のようにラフ、オーバーラフが頻発するような状況はさほど多くない。

考えるに、娘も含めブリッジの初心者が集まって遊んだホイストは、ブリッジの実戦教室でさまざまなことを教わるよりも、より基本に近いトリックテーキングゲームの楽しさを、より自然に、体で感じることができた貴重な場ではないかと思う。

ブリッジを始める場合、まずは形だけでもブリッジを楽しめるようにと、プレイよりもビッドシステムを覚えることを優先にする傾向があると思う。ビッドにとらわれず、カードをあやつることを純粋に楽しめるホイストを、もっともっと多くの回数、長い時間、プレイしたいものだと思った。

娘は充分ホイストには付いてきていた。集中力が続かないのは、仕方ない。最後に先生から、ダミーホイストをしてみるように、と指導があり、ダミーの1名分を開いて、3〜4回プレイした。

家で練習している時にも、娘がずーっと言い続けていたのだが、ダミーになって、カードをテーブルにきれいに並べてみたかったようだ。並べ方を皆に見せたかったのだと思う。でも、ダミーはプレイができず見ているだけなので、娘にはできるだけダミーをさせないようにしていたのだが、午前中の練習が終わると、とうとう泣き出してしまった。

「ダミーをしたかったんだよぅ」。仕方ないので、皆でもう一度あつまって娘にダミーをしてもらい1ディールプレイした。きれいに並べたカードをスートごとにテーブルに開き、娘はご満悦だった。