1日に数分集中する生活へ

昨日は午前から地元のブリッジ例会だったので、娘のお守りを兼ねて午前中には紙製クリベッジボードとプーさんのテーブル敷きを持って会場へ。クリベッジとジン・ラミーで遊んだ。娘の集中力は1.5時間が限度だなぁ。

クリベッジの時に、おとうさんが、緑と黒の駒を間違えて、おとうさんの点数を娘に付けてしまったりした。駒に名前でも書いておかないとまずいな。例えばそれが、馬とウサギの駒だったとしても、根本的におとうさんの駒をきちんと覚えていないおとうさんならば、駒の形や色にどんな工夫をこらしたって、間違いを回避するのは無理だ。名前を書いておくしかない、というわけだ。いずれにしても、間違って人の駒を進めると、とたんに興ざめであるからなんとかしなくてはいかん。

今日の夜には、娘とジン・ラミーをした。以前、おかあさんが後ろから娘のプレイを見ていた時に気づいたそうなのだが、とても来そうにないようなカードをひたすら待っているとのこと。

おとうさんと2人だけで遊んでいる時は、おとうさんもなかなか気づけないことなので、こういう盗み見サポートは助かる。本当は、いつも遊んでいるおとうさんが、対戦相手の娘のカーディングだけで何を考えているかを「はじめっからわかっている」のが理想なのだけど、そんなことは絶対無理だ(w。教えるというのは難しいことだと思うし、おとうさんとしての精一杯の教え方は、おとうさん自身が自分の手に真剣に取り組むしかできない。

ジン・ラミーを真剣にやっていないと陥る症状が「ジン狙い症候群」だろう。最近はおとうさんまでもが、ストックが残り数枚になるまでノックしないという非常に不健康な状態におつきあいをしていた。これはひとえに、ジン・ラミーの終わり方が悪いからだと、前から気がついていた。

100点ゲームをすると、なかなかその日で終わらない。ボーナスが付かず相手の点数との差分だけが自分の点数となる、ノックでの上がり方が多いゲームは良いゲームだが、そういうゲームになるほど、得点差が開かないのでゲーム数が多くなり、寝る時間が先に来てしまい、途中で終わらざるを得ない。途中で終わると、悔しさも嬉しさも、中途半端である。どっちでもいい、という表現が適切だろう。それが続いていくと、そもそもトランプでの勝敗がどっちでも良くなってしまう。これは根本的に良くない。

そのため、短い間のゲームとして、3回勝負とかをし始めると、今度は楽しい時間を終わらせたくないので、安易な5巡目のノックを避けるようになったりするわけだ。双方がそういう潜在意識を持つと、ゲームが長引いてしまう。すべてのゲームがジンで終わってしまうのだ。そんなゲームは、あまりに悲しい。

というわけで、数日前から考えていたことだが、今日それを実行した。クリベッジに習い61点ゲームとしてみよう。そして、ジン・ボーナスは、25点から15点とか10点とかにする。最終的に今日は10点に落ち着いた。

さて、今日はその改良ジン・ラミーを遊んでみたところ、最初のゲームは5ディールで決着がついた。そして、次のゲームは7ディールで決着がつかず、娘が「疲れた」と言ってこの日のトランプが終了した。今の段階では10ディールが集中力の限界なのかもしれない。それでも1時間弱である。

最近、ジン・ラミーをやると、負けると泣いて「1回しか勝ってないんだよ〜」とか言いながら、大人を困らせることがある。しかし、全く泣かずに淡々と遊んでいることもある。そして、ねころばって姿勢が悪くなったり、歌を歌いながらケラケラ笑い出したりすることもある。たいてい集中力が無くなってきている時だ。

ジン・ラミーで正当な勝負を行うことと、負けて泣くこととはイコールではない。負けて泣くのはどちらかというと集中力が無い時に、甘えて泣いているのだと思っている。だから、今の時期に、負けて泣いていることはたいしたことじゃない。ぐずっているだけだから、おとうさんもおかあさんも、適当にあしらっておけばいいはずだ。

今日の短縮ジン・ラミーは集中力がある程度続いて良いゲームとなった。これからもこの調子で行こう。終わった後、おかあさんに「2つとも負けちゃった」と、淡々と漏らしていた。そうそう、今はリハビリ中だ。そのうちおかあさんに後に付いてもらって、また強い勝ち方を教えてもらおう。おとうさんもやっとダラダラしないジン・ラミーを遊ぶ決心をしたから。

今日は2桁の得点計算も、少しずつ間違わずに出来ていたし、数字の書き方も熱心に聞いていた。おとうさんも、いろいろと工夫して楽しく遊ぶことにしよう。