カリキュレーション

食事が終わって、おとうさんもおかあさんも、なにやらドタバタしている最中に、娘が書棚から「夢中になる!トランプの本」を取り出して、以前から遊びたがっていたカリキュレーションというひとり遊びをするという。2、3ヶ月前に一度やってみたが、おとうさんがおっくうさを感じて途中でやめてしまっていたのだった。

カードをシャフル後、どのスートでも良いのでA、2、3、4と1枚づつ並べる。あとは山札。山札からめくって来たカードを、上記の4枚に置いていくのだが、Aの列には+1で置いていく。Aの上には2、3、4、5と続くわけだ。2の列には+2。だから4、6、8、となっていく。3の列は+3、4の列は+4。

置けなかったカードは下の方に4つの捨て札パイルとして貯めておいて、その一番上のカードは山札においていくことができる。全部出来上がると4つの列が全てKで終わることになる。

3と4の列の計算がちょっと面倒だ。4の上に乗るカードは「えーと、4に〜、4を足すんだよね、8か」と言いながら、その場では探すが、次のカードに集中が移ってしまうと、もう、8を乗せる意識は無く、ゲームがスムーズに進まない。最初のうちはおとうさんがいちいち、捨て札パイルにあるカードが出せることを喚起してやらないといけない。

それでも、「おもしろい、もっとやるやる」と言いながら2〜3回遊んでいるうちに慣れて来た。8+4で12、この12がQであるということを、おとうさんは今まで意識して教えて来たことはなかったように思うが、それも分かっていた。というのも、絵札は全て10点ね、というジン・ラミーのようなゲームしか遊んで来ていない気がするからだ。Qが12である、という意識が芽生えたのは、最近おかあさんと一緒に遊んでいるひとり遊びの、クロック(時計)などのおかげではないか、と感じている。これも確か、夢中になる!トランプの本、で遊び方を習ったはず。

また、Qの上に乗るカードが何か。Qを出した時に即座に理解できないと、捨て札にカードがあるかどうかの判定ができない。Qは12で、今乗せているのは4の列だから12+4、「えーと、12に4を足すんだよね、、、16」さて、この16から、次に乗るカードをどうやって導くのか。16から13を引けばいいわけだが、引き算はまだ時間がかかる。このあたりの計算方法を最近きちんと教えて上げていない気がする。それでもなんとか、6から3を引く計算を指を使ってやっているようで、助かる。16から13を引いて、3。だから次に乗るのは3だ。このあたりの数字のやりとりを教えるのがたいへんそうで、一時おとうさんは教えるのを尻込みしたのだが、今日はとてもすんなりと自分で計算をしはじめている。

寝る時にも、「3、6、9、12」とか暗唱していた。かなり刺激になったようだ。

ラミィキューブの難しさ

最近、ラミィキューブで遊ぶことが多いが、ふと考えたことがある。それは、大人にとってはパズル的要素が多く、知的欲求を満たすためのゲームとして楽しめるのだが、一緒に遊んでいる小さな子供にとって、良いゲームかどうか、見定めないといけないな、ということ。

というのも、みなパズルを解くために無口になってしまい、そのパズルが解けて、得点をもらえるのは最初に上がった人だけだ。そして、その他の人たちは、もう一歩まで考えて考えて、及ばなかった事実も、失点とだけ押印されてそのディールは終了してしまう。大人はまた次をがんばればいいけれど、子供の世界にしてみると、途中の過程を、大人に見てもらいたい、これだけできるようになった、考えられるようになったということを、親に認めてもらいたい、という欲求があるはずなのに、誰かが上がってしまうとそれで終わりで、誰も途中の思考過程を評価せず、また、終わってから子供にそれを聞いて上げたとしても、複雑な思考過程を理解できるわけもなく、なぐさみくらいにしかならない。

その点、クリベッジは、ゲームが短いこともあり、それぞれの回で考えたり工夫したりしたことが、相手に明らかに通じるし、お話をしながらもできるので、そのあたりのこと、つまり、どのように考えたのかを、話をしながら明らかにして、それに対して褒めて上げたり、また、他の人が作った役を認めてあげたりするのも簡単なので、そういう点からは教育的に良いゲームだなぁと思うわけである。

これからトリックテーキングなどを本格的に遊ぶとして、まだ小さなうちは、やはり思考過程をお互いに明らかにできるゲームというのが、開放感があって良いゲームと思うので、その点は大人が注意をしながら、遊んであげないといけないなと思った次第だ。

こどもの本

最近は、近くの小さな図書館(良書を意識して置いてくれているという)へ行くと、自分で本を選んで読んでいるという。おもしろいな。グロースターのしたてや、おやすみなさいおつきさま、かっぱのぬけがら、きみなんかだいきらいさ。