引き算をするために

春から小学生になる娘は、いま一生懸命、鉛筆の持ち方とひらがなの書き方練習を、できるだけ毎日続くように行っている。この手の練習の落とし穴は、娘が練習することだけではない。親がついて指導してあげなければならないということ。少なくともうちでは、そういうことにしようと決めた。というのも、書き順も見ずに埋められたドリルに花まるを付けているだけでは、鉛筆の持ち方も上手になるわけはないからだ。でも、毎日、短時間でも見てあげるというのは、なかなかストレスになる作業だ。

小学校に行くようになったら、親がどうやって、何を教えたらいいのだろう。今から悩ましいところだ。

ちなみに、計算の練習は次の通り。「17に、いくつを足すと、35になるか?」「えーと、18」「ごめいさん。早いね」「だって、17に、20を足して37でしょ、35には2、多いから、20から2を引いて、18になる」だって。これって合ってんのかな。

引き算としての展開は、「35から17をひくと?」という問題である。

思考の整理学

という文庫本を読んでいる。薄い本だが、なかなか進まない。ゆっくり読んで、またもう一度読み返してみよう。その中に、メモを取るようなことは忘れてしまってもいいようなことだ、というのがあった。確かにそうだと思う。聞いてメモを取らなければならないものは、後から思い出すために書いてあるので、その時にはすっかり忘れてしまう。後からメモを見て、その時にやっと思い出す。

メモを取らずに、読んだり、聞いたりすることは、もし忘れていけないならば、その一瞬で記憶にとどめておかなければならない。自分の生活を見渡すと、確かにそういう関係が成り立っているなと思うことが多い。自分が本当に身に付けたいものは、書き出したりしていることではなく、自分の頭に書くことがらなんだろうな。