良い子では良くない

いろいろと考えることがあった。まとまっていないが、結論は、

「ペアで仲間になる4(3)名でのホイスト/ダミー・ホイストだけを、今、娘にプレイさせ続けるのは良くない」

昨晩は、おかあさんが時間があったので、いつものように3人でダミー・ホイストをした。娘も流れがすっかり把握できているので、スムーズに進行する。おとうさんとおかあさんは、ブリッジの気分で、カード・リーディングをしながらプレイを楽しむ。今日のダミーは、椅子に座った、手袋で作ったイカさんだった。

このとき、面白いことに気がついた。娘は、マストラフでプレイをしているのだ。リードされたスートが無く、トランプを持っているときには、たとえパートナーがAで勝っていようが、必ずラフをしている。そういえば、ラフできる状態の場合は常にトランプを出しているなぁ。

おとうさんとおかあさんは、この場を止める。そして次のように説明する。

「貴方が出す前まで、このトリックを勝っているのは誰?そう、貴方の仲間のおかあさんだよね。ということは、貴方はここで負けたとしても、仲間のおかあさんが勝つことになる。貴方がトランプでラフせずに、他のスートをディスカードしてもこのトリックを勝てるのだから、ディスカードをしたほうがいい。トランプがもったいないから」

さてさて、おとうさんはこう説明していて、普通に違和感を感じた。これは5才の子供のあたまごなしに、大人が満足したいお説教だ。娘がなぜ、トランプを出したかの気持ちを計ることもなく、大人は自分が話している最中に自分の言葉に酔っていき、娘の事情などを配慮する余地が、全く無くなってくる。

さて、おかあさんは、ダミー・ホイストが普通にできたので、まるでブリッジをしているようで楽しかったという。

娘のマストラフと、おとうさんのおとなげある説明、そしておかあさんの満足、この状況はどこかおかしくはないか?そう、おとなげがありすぎて、子供向きではない。おとうさんは大人として当たり前の説明をして満足し、おかあさんはまるで大人と遊んでいるような感触に満足していた。しかし、子供はいつも良い子でいては、良い子に育たないだろう。危険信号だ。

当初の目的は達した。トリックテーキングの原則(特にマストフォロー)が身に付き、2人が仲間になって遊び、ダミーのハンドは、自分が指示をする。このまま続けていくと、勝つためのホイストの技術の話をする必要が出てくる。そしてそれは、パートナーゲームであるがために、自分の感情を犠牲にして、ゲームに勝つことを教えることになるだろう。

それで良いのか?

良くない。

もっと、子供の素直な感情を吐露できるゲーム形態を、今後続けることにしなければいけない。

ホイストやダミー・ホイストで、娘が負けて泣き出すようなことはない。それはあくまでペアが勝敗の基準だから、くやしさも半分なのだろう。これは大人の世界だ。子供はくやしいときは地団駄を踏んで泣き出すべきだ。感情を隠すことを知るのは大人になってからで遅くない。

ゲームは個人戦、そして、目前のトリックを勝つべきか負けるべきかの判断基準が、一目瞭然である得点システムであること。これは、すなわち、ペアにおけるトリックという漠然とした対象ではなく、目前の絵札だ。またはハーツのように特定のスートだ。そして、論理的推論をもとに多くの局面が構成される大人の世界ではなく、「チャンス・チャンス」と娘がジン・ラミーで声をかけているように、賭け、ギャンブルでの勝ち負けの要素が多分にしてあること。

すぐには出てこないが、ツーテンジャックとか、ハーツとか、それこそ、切り札(トランプ)を出すときは裏を向けて出すうんすんカルタ系とか、であろうか。

ふぅ。先週末のブリッジの体験教室を目標に、普通のホイストを目標にして特訓してきたので、ほぼ1週間になる。早く気がついてよかった。娘を良い子に育ててしまうところであった。

ゲームの面白さの基準をわたしは自分中心に固執していた気がする。娘がしようと言うゲームは娘が面白いのだと思っていた気がする。しかし、世の中はそんなに単純ではない気もする。

さっそく、目を輝かせられるような、手頃なゲームを見つけて、今日から熱戦を繰り広げなければならない。