数字を書くということ

娘と毎日、トランプばかりでなく、他に数字を書く練習をしたりしていると、食事後の時間が少なくなって今までのようにトランプに集中していられなくなった。もし今後トランプばかり1時間も遊んでいても、いずれ他にしたいことがおとうさんそして娘自身にも出てくると思うので、そこは上手に時間を使い、興味を持続させるように工夫をする必要があるのだろう。

昨日は、まず数字書きの練習をした。ジン・ラミーの点数表を書かせたときに、判別できない数字があったからだ。一応数字書きは1日飛んだが2回目として継続できた。

どのような形の数字を書くべきか、というお手本が必要かとも思ったが、ジン・ラミーの点数表を書くのを見ていて感じたのは、数字の書き方がミミズ文字のようで良くわからない場合がある、ということよりは、他の数字と判別ができない紛らわしい数字がある、ことが問題となること。

1と7。1と2。2と3。6と0。

今までは、好きなように書かせていたし、娘が書きたいから書かせていただけなので、きちんと机の上で教えたことはなかった。それは教えようとすると娘が乗り気でなく続かないことや、おとうさん、おかあさんが、その時間を取ることをおっくうと思っていたからだと思う。

ジン・ラミーの点数表を、問題なく担当させるために、数字の書き方を教える/教わるというのは、とても自然な動機だと思う。数字が書けるようになれば楽しいだろうし、再度数字に自信を持って、ジン・ラミーの点数表の担当になれれば、今度はきっちり計算方法を習得することもできそうだ。

1は、下に短い下線を付ける書き方を教えることにする。これは、7との差異を明確にするためだ。今はこの違いが大切だと思う。1と2の違いは、2の上の丸い部分が、人の頭のようにまるーく書けること。もしとんがってしまったら1と区別がつかない。2の下の線は、きっちり水平でないといけない。だらりと右下に下がってしまうと、3と紛らわしい。3は丸を2つだが、途中で世界が反転する。そのタイミングが大切。

6と0は、私も難しい(w。おそらく書き順としては同じで、上から時計と反対周りに書くが、終わり方が大切なのだろう。0は、6のように最後の筆を、開始点よりも下で終わってはいけない。6との差異を明らかにするために、開始点より、明示的に上で終わるようにする。まるで6を鏡で反転したように書く。9は娘の好きな数字の1つとのこと。9の下に向かう線はまっすぐと教えている。丸はほんとうの丸。それが、丸が終わるところで「ピッ」と世界が反転して、斜め左方向へ、直線が伸びる。この感じが好きらしい。

ペン習字のようなお手本で練習するのが、上手な字のためには必要と思うが、上手でなくとも良いと思う。どう書くと、何の数字と紛らわしいかを書きながら教えて、その紛らわしさを避ける書き方をせよ、と教えようと思う。そうすればとりあえず、世間を渡って行ける。

昨日はジン・ラミーをしたが、100点まで行かなかった。その後、娘は一人でパズルをし始めた。一人での時間というのは大切だ。そのため、ジン・ラミーの点数を100点ではなく、60点くらいにしようかと考えている。途中で終わってしまうのは集中を途中で切らせてしまうし、最後まで行かずに終わるのが普通、というクセが付くのは良くない。時間は有限だし。