ラミーキューブでクタクタに

おとうさんの仕事が忙しくて、もう2週間くらい一緒にトランプすることがなかった気がする。その分、おかあさんがジン・ラミーで遊んでくれていたので良かった。8月の課題であった鉛筆の持ち方を、大リーグ養成ギブス形式で教えてみた。

あんまり良い方法とは思わないが、とにかく望む形の持ち方を実現してみるために、セロテープで固定してみたのだ。指先に余計な力が入らずに、手首も力まないような、そんな持ち方を、、、教えるのは大変だなぁ。どこから教えて良いものか。とあきらめムードになってしまいがちだが、ここからがおとうさんが粘らないといけないところなのだろう。


Grit

「Grit:気概, 気骨, 不屈の精神, 勇気, 元気, 肝っ玉」のような意味とのことだそうだ。
http://lifehacking.jp/2009/08/what-is-grit-and-why-you-need-it/ 「頭のよさがすべてではない。成功者がもっている特質「Grit」とは何か?」。という記事を、勝間和代さん経由で知った。

『個人の中に挑戦的な課題を「やり抜く力」があるというのが Grit の考え方』

たまたま読んだ記事なので、まだすっかり理解できていない。それでも、「あきらめずに続けること」はいつの年代であっても永遠の価値だとは思っている。ふと感じたのは、理論を親が理解できたとしても、それを子供への教育の場で、ぶれることなく提供し続けられるかどうかは、まったく別の次元の話ではないかということ。そもそも親が今までの生き方の中で「やり抜く力」に限界を感じていたりすると、それを子供の教育の中で子供に教えることにも、限界があるような気がする。まあ、そこから先は子供自身の個性で、自分の方法を開拓して行くことなのかもしれないが。

ラミーキューブ

先日、ラミーキューブの大会があるというので仕事がてら見学をしてきて、おもしろそうとは思ったが、買ってみて家族が遊ばなかったりすると残念だし、お試し期間があると助かるなぁということで、先日の大会で見事代表に選ばれたお友達に「もし良ければ少し貸していただけると、、、」とお願いしてみたら快く貸してくれたので、さっそく遊んでみることにした。

最初からおかあさんと娘と私と、3人で遊んでみた。みんなコツが分かっているのか分からないが、初めてのゲームで頭を使うゲームだったので、おとうさんとおかあさんはヘトヘトに疲れてしまった。

おかあさんが用事で一度抜けたが、娘が強行に「もっと遊びたい」と言うので、おとうさんも腹を決めて、2人でトコトン遊んでみることにした。

遊び始めのうちなので、「最初に場に出す時の30点ルール」は、娘には適用しないことにした。慣れてくれば問題なくなると思うが、今日はタイルを引いてばかりが多くなってゲームが進まなかったからだ。だから娘は5の3枚のグループでも、場に出せる。

タイルを山に積むのは時間がかかるので、紙袋に入れてそれをガチャガチャ混ぜてから手を入れて引いてくる形にした。袋が持ちやすいのと、それほど中身が見えていないので、バランスがちょうど良いかも。

中をのぞきながら引くのは反則だ。

2人で遊んでいると、簡単に終わりそうになる。しかし、一度枚数が少なくなってからが勝負ということがわかった。タイルが出せなくなって、山からタイルを引いてくることが多くなった。

場にはたくさんのタイルが広げられて、組み合わせを変えて考えるのもそろそろ限界に近くなってくる(泣。上がれそうなんだけど、頭がついて行かない。くたくたに疲れて来た。

おとうさんは最後の2を出せなくて、娘に上がられてしまった。

おとうさんおかあさんは、ゲームの好きずきがある。おかあさん的には、1度のゲームの時間が少し長いことが気になるようなのと、組み合わせを考えているうちに疲れてしまうようだ。おとうさんは、もう少し遊んでみてから考え見たいと思っている。娘は、たいていどういうゲームであっても「まだ遊ぶ、まだ遊ぶ」と言ってゲームを続けたがる。それは遊んでもらいたいと甘えているだけではなく、やはりゲームのコツをつかみたくて、もう少し続けたいと言っているように見える。

おとうさんとしては、来年くらいにはホイストとかブリッジとかを一緒に遊べれば良いなと思っているのだが、そのようにしてゲームの取捨選択をしているのは大人なのであって、娘は出されたものはすべてに力を注いでいるに過ぎないし、自分がでコツが分かって勝てるゲームは、好きになるというものだ。それは大人でも変わりない。

囲碁とか将棋とかで、先を読むことを、私は教えられない。囲碁も将棋も得意でないからだ。でもラミーキューブならトランプと同じだし、教えられる。その際、娘が頭の中で描いている図は、大人が途中で面倒になってあきらめてしまうことがある、頭の中で、タイルの組み合わせを組み替えながら、「できる/できない」を判断する操作ではないのか。

もうちょっと娘と遊び、様子を見たいと思う。もしそのような先読みをしながら遊べているのならば、今までのトランプにはない、何手先を読む、ようなゲームとして有効ではないかと思う。まあ、娘も少し大きくなって来たので、ちょっと前まで戦術を使いこなしたりできなかった点も、今では自分で工夫できるようになっているかもしれない。大人の1日は、子供に取っては数日分あると思うから、

男子ではないが「男子3日会わざれば刮目して見よ」だから、おとうさんも目を開けるだけでなく、きちんと娘の成長を理解していかないといけないと思っている。