良く見聞きしわかり、そして忘れず

ブリッジではダミーが開いたら、カードを出す前にプレイの方針を考えよ、とよく言われる。下手な考え休むに似たり、とか、考えているフリをしている、とかもよく言われる。すなわち、プレイする前に13トリックの方針を最初に立てるっていうのは、自分の持っているスキルを全投入しなくてはいけないわけだから、そう簡単なことではないってこと。

娘に「考えて計画を立てよ」と言ってはみるものの、それこそ下手な考え休むに似たり、で、時間だけをつぶすような考えたフリをし続けるのも良くない。しかし、今の娘の段階で、考えるのか考えたフリをするのかを身につけるのは、おとうさんの指導によるのは動かしがたい事実だ。

だから、考えを変えることにした。考えるのではなく、「よく見よ」ということにする。『よく見聞きしわかり、そして忘れず」宮沢賢治雨ニモマケズの一節である。そのとおり。よく見る。目の前のカードを良く見て、見えない相手のカードを思い浮かべる。よく聞く。ビッドを聞き耳を立てて聞き、相手のハンドを想定し、全体がどういう状況になっているか理解する。見聞きしわかる。見聞きした情報、そこから得られた想定をもとに、この先どうなっていくのかの流れを理解している。そして忘れず。出たカード、最初の配置、相手のビッド、たった13トリック7〜8分の間のことを忘れないでいる。

ああ、そういうことか。だからダミーが開いたら、「考えよ」ではなくて「よく見よ」ってことが一番いいんだな。

お絵描きだって、まずは対象をよく観察することが基本だ。もののみかた。それはとても哲学的だ。考える前に、「2人で8枚あるトランプで、残りのカードは?5枚か。そして、抜けているカードは、何と何と何なのか?」

おとうさんが娘にいろんなことを教えることを通して、おとうさんの硬い殻を破りたい、と思っている。既成概念に縛られたおとうさん。みんなに難しいと言われてきたことは、実はそんなに難しいことではないのではないか。それは偶然であった指導者によるのではないか。おとうさんはどう考えても良い指導者ではないが、早くから蓋をしてしまうことはしたくない。それは、自分に蓋をしてしまうことだから。それは最悪のことだ。

もっともっと、おとうさんも学びたいし、自分の可能性を広げたい。娘の可能性には到底及ばないわけだが(w。

今日の絵

お庭でシャボン玉で遊んでいたが、その後おかあさんに書いてあげた絵だそうだ。シャボン玉がとっても綺麗だ。