寝食を忘れたとき

ここのところ、また仕事が忙しくなって、ブリッジどころか娘とのゲームすらままならない状態になっている。それでも、Jacqueline Kelly著「ダーウィンと出会った夏(The Evolution of Calpurnia Tate)」は、もう2ヶ月以上になるが、夜に時間があるとおとうさんが読んであげている。実際この本は、最初の数ページを読んでおとうさんが心をわしづかみにされた本だった。だから時間がなくて読めないくらいなら、娘に読み聞かせという理由で週に数ページでも読める方が嬉しい。

もう最終の2章を残すのみになった。おとうさんも科学者を目指している身であるだけに、この本はとてもおもしろい。というか、ストーリーもそうなんだけど、キャルパーニアという10歳の娘の考え方、行動、が、本当に手に取るように描写されていると、おとうさんの目には映る。不思議な描写だと感じる。娘はそこのところをどう思っているのかわからないが、「楽しみで仕方ない。終わってしまうのが悲しい」と言っている。

えーと、今日考えていたことを少し書いてみたいと思う。寝食を忘れた時ってどういう時だったかな?と考えて、そうそう、ブリッジのビッドの覚えたての時そうだったな、と思い出した。

5枚メジャーという言葉への疑惑、憧れ、そういうものがいつの日か封印されていたものが、今目の前に置かれていた。一度首都圏でブリッジ講習を受けたことがあるのだがその時は4枚メジャーというシステムで、私にはとても難しいシステムだった。自然なところが全くなくて、取り決めだらけ。覚えねばならないことが多くて苦痛だった。プレイも合理性を感じることは無かったし、競技ブリッジは自分には合わないなと思ったこともあった。

その後半年もしないうちに仕事が忙しくなり、次にブリッジに触れたのは10年後だった。そこで推薦された図書が「5枚メジャー基礎コース」だった。◯枚メジャー、アレルギー。「あーまたか〜」と毛嫌いしつつも、それが何のことなのかを知りたい好奇心が勝り、書籍をむさぼり読んで、中身を覚えた。その時は、2度目ということもあったのか、最初に感じた不自然さというものは、まったく感じていなかった。あれはなんだったのかな?

私は車の免許も2度取っている。2度目の時はすでに10年以上運転経験があったので、教習所の実車はすでに教官との世間話の場となっていた。その時だって、高校卒業して最初に教習所に通った時などは、何かを考える余裕など一切なかったのに、2度目はなぜこんなに、余裕しゃくしゃくなのだろう。通常、2回教習所に通う人も少ないと思うので、この感覚は貴重な経験ではないかと思っている。

あ、そうそう「ダーウィンと出会った夏」は翻訳もとても良いと思っている。何かすーっと心に自然に入ってくる。原作が当然そういう構造になっているのだと思うけど、翻訳も、世界を壊さず、日本語で世界を忠実に再構築できていると、感じる。斎藤 倫子(翻訳)。「出会った夏、なんだよね〜。いつかこの本ともお別れするんだよねぇ〜」と娘が言った一言が、今でも心に突き刺さっている。

(つづく)