寝食を忘れたとき2

今年と来年は、仕事が忙しくてブリッジどころではなくなってきた雰囲気がある。自分の周りに充満してきているが、自分もその勢いに流されそうになっている。それでも、そういう時にこそ自力を付けて、来たる時に備えておく気にもなっている。そもそも、仕事も自分のことなのだが、のめり込むにはもう少し時間が必要だ。

娘に「部屋を片付けてね」と言うために、「ちょっと話があるのだけど」と声をかけたところ、「ブリッジの練習したい、っていうんでしょ」と返された。昨年の8月に福岡に連れて行って、7位という成績をもらい、優勝ではないから周りにそんなにほめられたわけではないけれど、結果を残して帰ってきた。以前からおとうさんの直感(もしくは違和感)があって、娘には大人の中で普通に扱われる場はとても必要で重要なんじゃないかと思っている。だから、娘を連れてブリッジに行くことは、Stopしてはいけない。

しかし、練習もしないし、ブリッジ会場に顔を出す機会も減り続けている。それだけに、少し構造的にブリッジを継続できる環境を模索するつもり。やっぱりネットが一番かな。いそがしいと言っていられない。この時期を逃すのは、私自身のブリッジ生活で大切な大きなものを失ってしまうことになる気がするからだ。

壁にぶつかって、考えて

これまで、ブリッジを勉強してきて壁にぶつかったことが何度かある。最初は、ディクレアラのプレイで最初に1分考えましょうと、一生懸命考えた。しかしいくら時間を取っても、考えが先に進まないことが多くなってきた。特にノートランプのプレイは、ディフェンダの状況を把握しながら自分の手を進めていけることも、力のうちだと考えるようになった。そしてペア戦のトーナメントなどに出ると、時間が限られているので早くプレイできることも1つの技術だと感じた。そこで、ある時「いいかげんにしよう」とふっきれて、大切な場面とそうでない場面を見分けることが必要だということにも気づいた。

その後あった壁は、オーバーコールだったな。点数がないのに、オーバーコール側でゲームができることが頻繁にあって、どうにかビッドできるシステムが必要になって、書籍を買って勉強し始めた。英語の本だったが「25の競り合い」だった。目からうろこだった。競り合いは点数じゃないよ、フィットしたトランプの枚数だよ、って書いてあった。

そして上級者と組んでトーナメントに出た時に、こちらがぎりぎりの手で4などのゲームを選択してビッドしてホッとしているところに、パートナーがなぜか5とか、5の代に伸びる。「なぜ、ゲームしか出来ないと言っているのに、1個多いコントラクトに行こうとするのか?」と憤慨した。その時のパートナーは、この5の台のビッドについてあまり説明をしてくれなかったが、今なら私は説明できる。「26点でゲームがあるとして、パートナーが12点だったとしても、こちらに17点あったら、合わせて29点は最低限あるということ。26点で4の台なら29点で5の台が取れるよね。つまり33点のスラムまであと少し、こちらは、ぜひ良い手ならスラムを狙いたい余裕があるんだ。どうかな?」というビッド。これを私は、単なる意地悪ビッドとその時は考えていた。

もう一つ、ディフェンスのこと。これも上級者と組んだときに、ディフェンスがうまくできなくて呆れられたことが何度もあって、さすがに落ち込んだ。たとえば、エンカレッジのシグナルが出てきた時に、すぐにそのスートを返してしまう。「そうじゃなくて、こちらに好みのスートがあることを、シグナルで示したけど、それはすぐに返してくれっていう意味じゃなくて、それを前提にしてディフェンスを『考えて欲しい』という意味なんだ」。ディフェンスはディクレアラよりも機会が多いので、ディフェンスがんばらないと、試合中のプレッシャーが大きくて潰されてしまう、と焦った。本も読んだり練習もしたりしたけど、いまでも、ディフェンスは上手ではない。

さて、今週は娘とブリッジの練習をして、週末の久々のブリッジクラブで楽しんでこよう。