苦手意識

私自身がトランプに興味を持ったのがいつ頃だったのか定かでない。それでも、小学生高学年の時には学校で大貧民やセブンブリッジを一生懸命遊んでいた記憶がうっすらある。叔父さんが古いトランプ遊びの本を貸してくれて、ページワンや七並べなど、オーソドックスな家族ゲームは、ひととおり参照することができていた。

そんな中、任天堂のプラスチックトランプの中に、ジョーカーとも違う点数表が書かれているカードに気づき、そこに書かれた「Contract Bridge」という名前に惹かれた。ブリッジなのだから本に書かれたセブンブリッジだろうと思い、遊び方を確認しても点数のことが出てこない。もしかしたら別のゲームなのか?これがいつ頃だったかよく覚えていない。

その後決定的だったのは、松田道弘氏の「トランプの楽しみ」に出会ったことだろうか。コントラクトブリッジの記述がたっぷりとあって、そこから本格的にブリッジに興味を抱くようになってきたのだったと思う。

大学生の頃は、仲間と数人で夜な夜なジンラミーを遊んでいた。その頃でも、出たカードを覚えておくということはしようとしてもできなかった。そのような、練習するんだけどうまくできないこと、のルーツはたぶん、小学校時代のそろばんだ。私は教室でそろばんを習っていたが、早々に暗算で音を上げて、頭のなかで珠を動かすという経験を、途中から完全にやめてしまったのだ。それはあるいみ自分自身への敗北感があったかもしれない。

その後トランプや麻雀で遊ぶようになっても、やっぱりカードや牌を覚えておくということができていない。それが今でも尾を引きずっている。

子供のように、あれよあれよという間に物事が上達していくような年ではない。だから、ゆっくりゆっくり、記憶が苦手になっていく流れにあらがいながら、自分が思うブリッジプレイヤーを目指して、上達していることを信じて、歩むしかないのだろう。