2008年、シニアチーム金メダル

日本のコントラクト・ブリッジの歴史の中で、おそらく1、2を争う誇り高いイベントとして、2008年にシニアチーム(58才以上)が獲得した、ワールドマインドスポーツゲームズ(WMSG)の中の金メダルが挙げられると思う。

この時の模様を、中心メンバの山田彰彦さんが日本コントラクトブリッジ連盟のブリテンに書いてくれていて(2009年3,4月号:第55巻6号)、私はこの記事がかなり気に入っている。そこで勝手に抄出して紹介したい。

【プロローグ】

私が初めて極東に挑戦したのは1972年だったが、世界への挑戦はパートナーの大野京子の方が先輩で1976年のモナコ大会であり極東大会には出場したことがなく、いきなりの挑戦であった。「世界は面白いから今度一緒に行こうよ」と誘われ私の初挑戦は1980年のファンケンブルグであり、その時のメンバーは黒川晶夫さん、島村京子さん、神代高弘さんと我々ペアの変則5人チームであり成績は29チーム中18位でアベレージ280VPに対して253VPしかなく平均が9.03VPで当時は20VP制だったので25VPに換算しても11.3VPしかなくかなりひどいものであった。

《中略》

2年後の1982年はペアオリンピアード及びローゼンブルムカップがありミクストペアは450ペア中65位で初めてとしてはまあまあかなと思ったがメダルの3位には程遠い順位であった。表彰式になるとやはりジーンと来るものがあり、この時ある方と「よし、日の丸を揚げるぞ!」なんて約束してしまった。しかし何度挑戦してみてもチーム戦はベスト8どころか予選通過すらなく叶わぬ夢、果たせぬ約束のまま時は過ぎるだけであった。

その内第一線も退き、そろそろ潮時かなと思っていた矢先にシニアなる部門が新設される事になり、人生の巡り合わせとすればツキがあった。シニアならバリバリだからだ。そこでシニア世界再挑戦となるが、03、05、07年の世界選手権及び04年のチームオリンピアードいずれも予選敗退で、今回の第3回ワールド・シニア・インターナショナル・カップに臨むことになった。

《中略》

【決戦最後の日(16ボード×3ラウンド)】

昨日と違って朝目覚めると気分は爽快だった。

《中略》

第6ラウンド、いよいよ最後の16ボードである。日本が21点リードしているが貯金があるといえる点差ではない。逆にアメリカは21点のビハインドだがこのまま横綱相撲をされていたら日本の優勝はなかった。しかし王者アメリカといえどもやはり人の子、最後に焦り足掻きが出るのである。それにシニアの過去の大会 - 4回の世界選手権と2回のオリンピアード全てアメリカがチャンピオンであり、この牙城を死守すべく使命感があるのに対して日本は失うものはなく、また追う者の強さもある。最後のラウンドの数ボードを振り返ってみる。

コントラクトは同じ3、3メイクと4メイクで日本に+1。何の変哲もないハンドだがこのハンドには教訓めいた、または矛盾めいたものがある。自分達に8枚以上のメジャーフィットが分かっているのにチーム戦で低いパーシャルにダブルをかけて守るのは良くない考え方だとパートナーに何回も言った事を、自分で2にダブルをかけてしまった。それがベストと思われたからである。

Eの2に対してSのパスはフェアなハンドを示しているのでNはダブルをかけたがSは2ダブルに対して3とビッドした。Eが2でなく2なら2とビッドするのに丁度いいハンドかもしれないが2に3とビッドする程のディストリビューションでもなく、また2とビッドするほどの枚数もなく、フェナハンドとも言い切れず実に中途半端なハンドだ。2をパスしたのなら2ダブルもパスだったかもしれない。Nが2に対して、リードしているチーム戦で低いノンバルのパーシャルに、1ダウンするかしないか分からないコントラクトにダブルをかけるだろうか?チーム戦の鉄則として少なくとも2ダウンさせられるハンドならSの手はフェアより1トリック足りないとしても少なくとも1ダウンはするのではなかろうか?2だぶるはオープニングリードまたはディフェンスの途中からでもいいがSからを打ってダミーのKをNがAで捕まえてまたはをエントリーにしてを打ってもらいK後3順目のをラフさせてもらえば4ダウンするコントラクトだった。

ダブルに対してのSの3はビッドではなく逃げであり、これは戦う意思のない敵前逃亡であり、かなり疲れていそうで闇のゾーンに迷い込んでいる事を察知した。中1日休みがあったものの大会14日目、準々決勝以降では唯一の女性プレイヤーであり、残された4人だけになって4日目にもなり、またもしかしてのプレッシャーもあれば仕方のない事かもしれない。少なくとも自分だけでも与えられた仕事をきっちりこなす事に気持ちを入れ替えた。

が返ってきた時はしまったと思った。3に対してNはどうすべきか?に直せばいいじゃないかと思うかもしれないが一体何か?ビッドからはノールーザーでは1ルーザしかなさそうでグッドを持っていてくれればで2ルーザー出しても4がありそうだが3のビッドだとこちらにQの3枚があるとはパートナーは思ってくれないので4がメイクするハンドでも3のビッドだと確実にパスされそうである。プレッシャーをトランスファーされた感じだったがノンバルなのでゲームルーズでもいいと思って3としかビッドしなかった。結果的には+11MPだったが残りの15ボード、苦戦を強いられる事を覚悟した。

《中略》

ルームを出ると電光掲示板は200 - 206になっていて井野とスコアを合わせてみると202 - 200でもう一度計算しても202 - 200であり怪訝な顔をしている時、電光掲示板が202 - 200にパッと変わり、一斉に「勝った!」と叫びながら右手拳が揚がった。

《中略》

【エピローグ】

昔私が会報に1位と2位とでは雲泥の差があると書いた事があったらしいが、成田代理キャプテンはこの事がとても印象的だったので今でも憶えているという話もあった。

《中略》

ブリッジで大切な事はパートナー、チームメイトを信用、信頼することだが一番大切なのは、特に長丁場では自分を見失わない事と勝負を急がないことである。

大山さん、遅くなったけど日の丸揚げたよ!世界の中で一番美しいのは日本の旗だ。

私から

『これは戦う意思のない敵前逃亡であり、かなり疲れていそうで闇のゾーンに迷い込んでいる事を察知した』と、パートナーの状態を評価するあたりが、とても切羽詰まった状態を感じさせる。それでも自分を見失わないようプレイに集中したのだろう。このパートナーへの心遣いの姿勢が、ペアとしてプレイするブリッジのかなり本質的な部分と感じている。