みちのく地域対抗競技会、その7

プリエンプトとサクリファイス

さて、今回は、プリエンプトとサクリファイスについて考えてみようと思う。

まず、私達ペアのビディングシステムを一言で言うと、次のようになる。

  • 1) ツーオーバーワン・ゲーム・フォーシングである。
  • 2) 2の代のオープンは強いリアルスートである。
  • 3) プリエンプトは使わない。
  • 4) 1NTは15-17hcpで、ステイマン有り、ジャコビー無し、ブラックウッド無し

福岡の第2セッションで、「できたからいいじゃん」とか「落ちたからいいじゃん」という娘の言葉に、妙に説得力を感じ、腑に落ちてきたところがあった。今回のチーム戦では、新たに、おとうさんが感じる違和感というか腑に落ち感というか、そういう感覚があった。それは、ダウンした時に娘が「ダメだよ!」という叱るようなそぶりをしたことに通じる。

おとうさんはこれまで、明らかにプレイミスだった時以外には、娘にダウンしたことを非難するような素振りを見せることなどなかった(と思う)。ただ、明らかに、というのはもともと娘が技術的にわからないことが多い中でのことなので、ダウンの時のプレイのまずかったところが、どれだけ娘に明らかなことだったのか、については判断が難しいところだ。というか、プレイの練習を固めて行なっていない娘にとって、プレイで明らかなことなど何一つないのかもしれない。

そんな中、おとうさんが2ボード連続でダウンした時に、娘が私に対してそういうそぶりを見せたことに、ちょっと違和感を感じたのだった。

バーブリッジ以前

我々のビディングシステムを簡単にオポーネントに説明していた時、仙台から来た方からコメントをもらったことがある。まず「2の台のオープンは強いです」という説明に「そうだよね、それが自然だよね」という反応。そして「プリエンプトはしませんので、ジャンプは常に強いです」というと「それが本来あるべきビッドだよね」と言う。この方はいつも私達ペアに励ましの言葉をくれる。

確かに、自然だなと思う。特にツーオーバーワンをゲーム・フォーシングにしているところと合わせて、ビディングシステムのメッセージが、非常に単純明快のような気がする。ビッドの取り決めの中で最も重要なことは、フォーシングかフォーシングでないか、ということだと思うのだが、初心者でもツーオーバーワンで、気軽にゲーム・フォーシングを使えること、1ー2すら、単純にゲーム・フォーシングにすること、これにより、それ以外のビッドはインビテーション以下でしかない、という限定されたレスポンスが1度で伝わるというのが良い。

Tiny Bridge感覚

私達は、家族3人でブリッジを楽しめるようにと、ミニブリッジならぬTiny Bridgeのルールを決めてこれまで楽しんできた。ミニブリッジはビッドのないプレイだけのブリッジで、各自のハンドのHCPを明らかにして、HCPの合計の多いほうのサイドがディクレアラになって、コントラクトを決めてプレイをする、という簡易ブリッジだ。

うちの家族は3人で、ダミーはほんとうに何も言わないので、HCPの合計の多い方のサイド、というのではなくて、いつもディクレアラは固定。ダミーと合わせて点数が10点であっても、やっぱりディクレアラをするというルールのTiny Bridgeを作った。その際、ディクレアラ側は多いトランプを指定できるので、どっちかというと点数が少なくても取れるトリックは多いことが多い。その際、ダミーと合わせて20点は1の台のコントラクトでなくて、2の代のコントラクトとしてバーを決めた。19点までが1の台である。3点刻みにするので、17,18,19が1の台。16点は1−1だから6トリックね。20、21、22は2の台。

このように、昔から20点は2の代ね、とTiny Bridgeで決めてきていたので、20点あれば2の代でオープンするという感覚は、まったく違和感のないものになっていたのも確かだ。

加えてNTのとり方など

あとは、ジャンプすると強い(例外はある。オープナー側の1ー3のレイズ)ということ。これにNTのとり方(どういう時にNTをビッドするか?できるか?)という技術的なことをマスターすれば、立派なビディングシステムとなるような気がする。

そんな中、プリエンプトを使わないことが前提となっているが、おとうさんは実はそれが体感できていない。娘には相手のプリエンプト・ビッドの意味すら教えていないのだ。娘は、1つの価値観でのみ、ブリッジをしていると思う。

「言ったものは作ること。言われたものはダウンさせること」

先制攻撃をして、オポーネントのビッドを邪魔して点数を取らせないようにしよう(プリエンプト)、とか、ダウンすることはわかっているけれど、相手に取られるよりマシだ(サクリファイス)、というような価値観は、娘は基本的に持っていないはず。

だから、「メークすること、ダウンさせること」が価値の中心であるのだ。これはラバーブリッジの以前の価値観なのかもしれない。ラバーですら、サクリファイスやプリエンプトが存在するから。

うーむ、おとうさんは少し、わかりたい。この一様な価値観の平原に居る意味を。これは、娘と勉強できるとても良い機会かもしれない。わかりたい、わかりたい。もう少し考えてみる。