セットで考えること

最近定期的に参加させていただいている、家族で来てもいいよ〜 と言ってくれている地元のゲーム会で、教えてもらった「セット」というゲーム。教えられた直後に、これを家でするようになり、飽きずに1ヶ月くらい続いている。

基本の絵柄が3種類ある。説明が大変なので、wikipediaにまかせよう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/セット_(カードゲーム)

要するに同じ要素と違う要素がちょうど良く組み合わされた、3枚のカードの組み合わせを見つける、パズルのようなゲームだ。私はパズルが苦手だが、奥さんが好きなので、家族でこのゲームが続いていると思う。奥さんはいつも、よーく考えながら、あったとか、ないとか、楽しんでいる。

当初、私はこのゲームを1回しただけで頭がへとへとに疲れてしまっていた。奥さんもそう言っていた。このゲームは疲れるゲームだと思う。

娘は、最近になって抜群の強さを誇っている。何度やっても私も奥さんも絶対に勝てない。おなかがいっぱいで集中力が切れている時をみはからい、お父さんはがんばってプレイするが、そういう時でも3枚差とかで負けてしまっている。実は当初から、大人の私たちは歯が立たなかったのだが。

この間面白いことに気がついた。

私がやっとこさ、見つけた3枚の組み合わせを、皆に見せて説明する時、私が必ず2枚を示したところで娘が「あ〜そうだね〜」と相づちを打つのだ。必ず2枚の時だ。一緒にプレイしているお母さんは、3枚を示し終えた時ですら、そこから一瞬考えている。理解できて初めて「なるほど」と納得するのだが、テンポとしては5テンポくらい娘とかけ離れている。お母さんより遅いのは私なんだけどね(w。

カードを見る目が速い。動いている。たぶん、私とかおかあさんが、考えるテンポとは、ちょっと違うところで認識をしているんだなぁ、と感じる。それがわかってから、私も考えることを放棄してみた。すると頭が疲れなくなった。でも、認識が速くなった訳ではない。ぱっと見てわかる、そういう世界ががあるんだ。たぶん。

トランプをしていると、娘が戦術というものを覚えるには、まだ時間がかかりそうだと思う。ジン・ラミーで言えば、Qを捨てて私が取ったにも関わらず、すぐに次にQを捨てる。私がQ3枚集めてノックする。「お父さんはQを集めていることわかったよね」と言ってみるが、プレイ中にはわからないようだ。

娘がわからないことを、お父さんは理解できる。つまり、戦術がまだ身に付いていないなぁ、ということをお父さんは外から見て理解する。

でも、娘がわかっていることを、おそらく、お父さんは理解できないのかもしれない。パターン認識の速さは、何が起こっているのか、私は理解できないし、まねもできない。お母さんが娘に聞いたことがある。「どうして3枚のセットがすぐにわかるの?」「・・・・」それはあまりに高度で抽象的な問題だ。しかし答えは簡単なのだろう。「だって、わかるもん」。こういうのは、お父さんが苦手とする分野なのだと確信する(悲。

ちいさい時には、みな、スーパーな力を持っているのだろう。お父さんも、それを目の当たりにしながら、スーパーな力を身につけたい、と思う。